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薩摩焼 横浜焼 隅田焼
薩摩焼は、今から約400年前、島津義弘が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)から引き揚げる際に、産業振興の為に朝鮮陶工を連れ帰ったことが始まりとされています。
1867年頃からは各国の万国博覧会に出品し、その繊細細密・豪華絢爛な構図で、欧米諸国から高く評価されてきました。
明治時代の幕が開け、1859年に横浜が開港したことで、日本中から横浜に陶磁関係業者が集まり、全国から素地を仕入れて、様々な横浜の工房や店舗で絵付、販売が行われ、ここに「横浜焼」が誕生します。
精緻を極めた名品の数々は、万国博覧会への出品を機に海外の評価を得ました。
隅田焼は、愛知県瀬戸に生まれた井上良斎が、1875年に島田惣兵衛の協力で、隅田川近くの浅草橋場町に窯を築いた事から始まりました。
陶磁器に造形物を貼り付ける高浮彫の技法で装飾され、上部に釉薬を掛け流した生命力溢れる作品は、日本の陶磁器にはなかった自由奔放さが表現され、欧米で人気を博しています。
オールドノリタケ 石目焼 オールド瀬戸焼
森村組や日本陶器(現在のノリタケカンパニー)が、明治末期から戦前までに製造したヴィンテージ・アンティーク陶磁器の総称です。
近年では、約100年という長い歳月を経て日本に里帰りし、大変人気が高くなっており、美術工芸品として高い地位を確保しつつあります。
名古屋の七宝会社や開洋社で銅七宝や磁胎七宝の名品を世に送り出した工人、竹内忠兵衛が明治22年に「陶磁器ニ石目ヲ顕ハス法」で特許を取得した技法です。
その気品に満ち、ほのかな色気さえ漂うやきものは、まさに「美麗」と言えるでしょう。
愛知県瀬戸市とその周辺で生産される陶磁器の総称で、日本六古窯の一つです。
明治時代に入り、欧米で開催された万国博覧会に出品してからは海外で高い評価を得て、輸出用の磁器生産が盛んになりました。
川本枡吉、加藤周兵衛、加藤春光等が有名。
オールド有田焼 オールド九谷焼 磁胎七宝
17世紀初頭に日本で初めて磁器を生産したのが有田で、19世紀後半の幕末、明治時代に西洋の技術を取り入れて発展しました。
明治6年(1873年)のウィーン万博に出展し、赤や金の上絵付を施すなど、色鮮やかで豪華絢爛な作風が海外で評判となり、名声を得ました。
香蘭社、深川製磁などが有名です。
1655年頃から現在の石川県加賀市で生産された磁器で、領内の九谷村で陶石が発見され、有田の技術を導入し、磁器生産が始まります。
明治期に加賀藩と大聖寺藩の援助を失い、石川県が殖産興業・輸出振興のため各国の万国博覧会への参加し、九谷焼を輸出しました。
いわゆる「ジャパン・クタニ」の名で世界に広がりました。
金属ではなく、磁器を素地とした七宝焼を磁胎七宝と言い、釉薬を削り落として、真鍮や銀の細線で植線し、七宝釉を施して焼成します。
光沢感のない上品さが特徴的で、明治初期から中期にかけて欧米諸国に輸出されました。
名古屋の吉田直重によって発明されたと言われ、同じく名古屋の竹内忠兵衛らが手掛けていました。
オールド・ニッポン
森村組や日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテッド)と同時期に海を渡った日本製の陶磁器の総称ですが、資料が非常に 少ないためにメーカー・問屋の詳細がわからない作品です。ただ、品質や装飾技術はノリタケと同等又はそれ以上の作品も多数確認されていて、美術工芸品として評価が高まっています。
プレミアノリタケ
現在のノリタケカンパニーリミテッドが、戦後の1945年頃~1960年頃までに製造した作品の総称です。