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ニッポンポーセリン

ノリタケ 森村組や日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテッド)が 1890年頃から1945年頃までに、主に欧米に輸出した陶磁器を オールドノリタケと呼んでおり、 優雅で繊細な洋風絵付けに細密精緻な盛り上げや金盛り装飾を用いて欧米の要求に応えており、 職人の誠心誠意、精魂込めて作られた作品は、品質は勿論の事、品格も抜群に素晴らしく極めて 完成度の高いものが多く 確認されており、100年という長い年月を経て日本に里帰りし、 年々評価が高まっております

里帰り薩摩 薩摩焼は、朝鮮陶工によって約400年前に伝えられております 鹿児島の本薩摩を始め、錦光山や帯山、宝山、亮山、正山などの京薩摩、大阪薩摩の藪明山、 保土田、服部、中村などの 横浜薩摩など各地へ派生し、欧米諸国へ輸出されていきました 薩摩焼は明治に開花したものの、以外にも百花繚乱を謳歌した時代は短く1890年代の後半には 衰退していってしまった 美術工芸品になります

井元商店
井元為三郎が、田代商店勤務後に1897年に独立して起こした会社で、当初は生地を瀬戸より仕入れて、 市内の絵付業者に絵付けを依頼し、森村組やヴァンタイン商会に販売をして、海外にも支店を増やし、 生涯を通じて名古屋陶業界のために尽力した人物になります
井村彦次郎
横浜絵付として最古の歴史を持ち、宮川香山と並んで横浜絵付を代表する存在であったが、宮川香山が 素地から作るのに対して、井村は瀬戸などの他の場所から素地を取寄せて、横浜で絵付けをしており、 伝統的な花鳥風月を描いた格調高いものが多い
高坂
1905年(明治38年)に米国オレゴン州ポートラアンドで開催されたルイスクラーク100年記念万国博覧会に 金牌受賞の高坂藤右門と思われ、この万博において日本は、金牌139・銀牌86を受賞しているが、 陶業関係者の受賞数は金牌20・銀牌13おり、その中の一人
川本桝吉
川本桝吉(初代:1889-1941年頃、二代:1852-1918年頃)は、「 明治期の瀬戸北新谷の名陶工で 奇陶軒と号し、輸出磁器製造の先駆的な存在で、1873年のウィーン万博で受賞しており、 桝吉の作品はいずれも大変巧妙で繊細な染付が多く確認されております
加藤周兵衛
幕末-明治時代の窯元で、1852年に分家して白雲堂と称し、愛知県瀬戸市で製磁業営み、 明治5年ウィーン万博出品青花磁製造方取締役を命じられた
2代目は、明治時代の陶業家で、初代加藤周兵衛の子になります
明治10年愛知県瀬戸で父の窯を継いおり、号は白雲堂
竹内忠兵衛
明治4年、従来の家内工業から脱却して近代的な産業とすべく名古屋に七宝会社が設立され、 竹内忠兵衛は、鈴木清一郎、塚本甚右衛門とともに、その中心工人として活躍しており、 第1・2回内国勧業博覧会(明治10年、14年)では、2回とも嘉賞しており、 西郷との取引もあったようである
加藤春光
1875年に愛知県の瀬戸で創業した窯元で、西郷や井口、藤村などの森村組専属工場への生地の供給を 始める一方では、自ら春光という染付け銘を持ち純日本風の画風で知られる絵付け工場でもあり、 積極的に海外輸出製品を製造し内国勧業博覧会などで数々の賞を受賞している
中村造
1905年(明治38年)に米国オレゴン州ポートラアンドで開催されたルイスクラーク100年記念万国博覧会に 銀牌受賞の中村英太郎と思われる
宮川香山と並んで最古の歴史を持つ井村と並んで横浜絵付けを代表する人物で伝統的な花鳥風月が 多く確認されております
名古屋製陶所
名古屋製陶所は当時、国内唯一の日本陶器のライバル会社であり、日本陶器と同品質で同種類の 洋食器群を、輸出向けおよび国内向けに製造し、日本陶器の技師長だった。飛鳥井孝太郎が、 名古屋の寺沢溜四郎とともに1911年に設立した「帝国製陶所」を前身とした会社
松風陶器
京都の3代松風嘉定が輸出向けの磁器の製造を目的として1906年に京都に設立した会社で、 1879年に森村組の輸出磁器の製造を開始したが、1893年に3代目を引継いだ嘉定は1895年に 森村組との取引を中止し海外と独立取引を目指し、「都盛」という盛り上げ技法を開発した
ロイヤルニシキ
錦光山は、京都粟田焼の旧家で江戸時代の開窯したと言われており、6代・7代宗兵衛により 1865年頃から輸出に着手しており、オールドノリタケに対抗して明治末期に登録した輸出向けの商標であるロイヤルニシキとキンコウザンがあり、京薩摩の影響が強く残る
瀬栄
瀬戸地方の有力窯屋の共同販売会社として1896年に設立され、1919年に水野商店と合併した後、 1929年には半磁器の生地製造工場を建設し、その生地は白く緻密であり、”半磁器のノリタケ” と呼ばれ、昭和初期にはノリタケから注文を受けて置物などを製造していました
志水禄之助
明治30年代~40年代初期の問屋で、初めは瀧籐商店にいたが、1892年頃にヴァンタイン商会が 名古屋に出張所を設けたのと、当時の貿易物の輸出不況とあいまって、瀧籐商店を辞め、 西瓦町に独立して、志水禄之助商店を設立している
瀧藤
瀧籐萬次郎が1874年に設立した会社になります
萬次郎は、1892年のシカゴ博覧会に愛知県代表として銅器や七宝などの出品物の宣伝員として 渡米している
残念ながら1922年に76歳でこの世を去っている
田代商店
松村九助商店の横浜支店の営業権を田代市次郎が譲り受けて、生まれたのちに1900年のパリ万博には 多数出品し、1904年のセント・ルイス万博博覧会では、美術の項で銀賞受賞、1910年の 日英万国博覧会では陶磁器の項で金賞受賞している
ヴァンタイン商会
創業者はA・A・ヴァンタインで、日本におけるビジネスは、1894年頃に転写紙やラスターを輸入や 白壁町に生地の見本釜を作ったのに始まるが、特に注目されるのは、コラレンという磁胎に ビーズを貼り付けた輸出磁器を米国向けに輸出していた
オールドニッポン オールドジャパン
明治・大正時代に海を渡った日本製の陶磁器の中で、メーカー・問屋・窯などの詳細が資料が 少ないために不詳のものになります
ロイヤルモリエやオリエンタルチャイナなどは非常に優れた作品を輸出していたようです
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