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出雲焼とは江戸後期の大名・松平不昧の指導を受けた楽山焼と布志名焼を指しています。楽山焼は1677年に長門から来た陶工・倉崎権兵衛によって始まりました。御立山焼、御山焼とも呼ばれています。布志名焼は舩木窯は民窯として、土屋窯と永原窯が藩の御用窯として活動していました。土屋窯の初代・土屋芳方は「黄釉」を始めたと言われており、2代・正芳は不昧から「雲善」の号を賜りました。永原窯は初代・永原与蔵順睦が不昧の御茶碗師の御用を務めました。
明治時代には輸出用陶器も手掛け4代で閉窯しています。1898年には「出雲陶器業組合」に陶器伝習所が作られ、1902年に若山陶器験所と改称されています。絵付師は、恩地山濤、小村成章(1831-1904)、安井如苞(島根県の布志名焼に従事。布志名系製陶家によって組織された若山陶器試験場の専属となり,明治24-25年頃、花鳥虫魚を独特な手法でえがき自在な彩色で注目された)、得能興洲、川合清一らが知られている。1915年には協同組織の丸三陶器商会が作られ近年まで活躍していた。皇居三の丸尚蔵館には、黄釉向鳳凰文花瓶(図案:得能、製作:丸三陶器商会、時代:1928年)が収蔵されています。

<船木>
緑釉銀彩龍文花瓶 |

<船木>
茶釉銀彩龍文花瓶 |
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