本文へスキップ

骨董・アンティークの用語集

TEL. 04-7179-0116 MOBILE. 070-6473-8710

千葉県我孫子市台田4-11-42 敬誠北柏ビル

あ行の骨董・アンティークの用語集

GLOSSARY

】【】【】【】【】【】【】【】【】【

◆ 有田焼
1610年頃に日本で初めて生産された磁器です。世界市場の大半を占めていた中国磁器が国内の内乱により1640年頃~1680年頃までの期間、輸出を一時中断しており、その代替として世界に輸出されました。1841年、有田の商人・久富与次兵衛は佐賀藩から有田焼の独占輸出権を得ると、欧米好みの作品を長崎港から輸出しました。1856年には田代紋左衛門がその権利を引継ぎ、新しいデザインを取り入れて有田焼を世界ブランドへ導きました。1873年のウィーン万博に出展し、赤や金の上絵付を施すなど、色鮮やかで豪華絢爛な作風が海外で評判となり、名声を得ました。


◆ 安藤緑山 [ 1885-1959 ]
謎の超牙彫師
明治初期に浅草に生まれ、昭和初期まで活躍した彫刻家です。幼い頃に父を亡くし、金工家の養父の下、高校卒業後に象牙彫刻を習って独立しました。作品は果物や野菜など身近なものを表現した象牙彫刻が中心です。


◆ 旭玉山
工芸と美術を極めた細密彫刻
江戸末期から大正の時代に活躍していた日本の彫刻家です。寺育ちで当初は仏門に入っていましたが、幼少期から手先が器用であったことから24歳に彫刻家へ転身します。描写能力が優れ、中でも本物の人骨を手本に彫られた髑髏の根付や全身骨格は、海外でも高い評価を受けたそうです。


◆ 石川光明
明治象牙彫刻界の雄
明治時代に活躍した彫刻家です。浅草寺雷門を担当した宮大工の家に生まれ、幼い時に父を失ったものの、叔父から宮彫を習い、その後絵画や牙彫など工芸に通ずる多くの修行を続けました。1878年には同じく明治期の名工であった旭玉山と東京彫工会で研究を始め、その後国内の博覧会にて出品作の中から2点が妙技二等賞を受賞し、帝室技芸員、東京美術学校の教授など近代彫刻の発展に貢献します。また国外でもシカゴ万博で優秀賞、パリ万博で金賞を受賞するなど高い評価を得ました。


◆ 出石焼
純白な白磁に精巧な細工を施した造形を特徴しています。明治以降、透かし彫りをしたり、細工の細かい作品が作られました。中には金襴手をほどこした作品、染付や赤絵などの陶器や半磁器なども生産されていました。


◆ 出雲焼
江戸後期の大名・松平不昧の指導を受けた楽山焼と布志名焼を指しています。楽山焼は1677年に長門から来た陶工・倉崎権兵衛によって始まりました。御立山焼、御山焼とも呼ばれています。布志名焼は舩木窯は民窯として、土屋窯と永原窯が藩の御用窯として活動していました。土屋窯の初代・土屋芳方は「黄釉」を始めたと言われており、2代・正芳は不昧から「雲善」の号を賜りました。永原窯は初代・永原与蔵順睦が不昧の御茶碗師の御用を務めました。明治時代には輸出用陶器も手掛け4代で閉窯しています。1898年には「出雲陶器業組合」に陶器伝習所が作られ、1902年に若山陶器験所と改称されています。絵付師は、恩地山濤、小村成章(1831-1904)、安井如苞(島根県の布志名焼に従事。布志名系製陶家によって組織された若山陶器試験場の専属となり,明治24-25年頃、花鳥虫魚を独特な手法でえがき自在な彩色で注目された)、得能興洲、川合清一らが知られている。1915年には協同組織の丸三陶器商会が作られ近年まで活躍していた。皇居三の丸尚蔵館には、黄釉向鳳凰文花瓶(図案:得能、製作:丸三陶器商会、時代:1928年)が収蔵されています。


盈進社
1876年、出石焼の改良発展のために設立されたのが盈進社です。輸出を意識した欧風化した作品やフランスのセーブル磁器の模様を取り入れた斬新な作品等が確認されています。


◆ 小川松民
1847年に東京・日本橋の金具師・ 忠蔵の子に生まれました。1860年頃に中山胡民に入門して蒔絵を学び、 さらに慶応年間には江戸琳派の池田孤村に入門して 画を学びました。 1868年に独立し、松民と号しました。
1877年の第1回内国勧業博覧会博(龍紋賞牌)、1880年の第1回観古美術会(特撰判者を任命)、1881年の第2回内国勧業博覧会(妙技賞牌三等)、1888年の日本美術協会美術展覧会(銀牌)、1890年の第3回内国勧業博覧会(妙技二等)


店舗イメージ

shop info.店舗情報

オールドノリタケ専門店

〒270-1167
千葉県我孫子市台田4-11-42
敬誠北柏ビル

TEL.04-7179-0116
FAX.04-7179-6363