◆ 田代紋左衛門 [ 1817-1900 ]
1856年頃に佐賀藩から唯一許可を受けていたオランダ貿易鑑札を久富家から譲り受けます。これを機に海外向けの磁器製造と販売を一手に始めました。その製品は陶山神社横にあった白焼窯で焼かせたもので、高台内には「肥蝶山信甫」の銘を入れ、田代ブランドとして広く海外へ輸出されました。また、当時有田では作れなかった薄手の製品は平戸藩領で有田と隣接する三河内に注文し、それを有田へ運ばせ赤絵を施していました。海外輸出のために、長崎や横浜にも支店を設け、海外貿易を拡大していきました。1876年に建てられた旧田代家西洋館は2018年に国の重要文化財に指定されました。
◆ 高村光雲
近代木彫の祖
明治以前は仏師として、また明治以後は木彫の彫刻家として活躍しました。東京の浅草に生まれ、仏師の高村東雲の下で修業を積むと1874年から「高村光雲」の名を名乗り始めました。当時、西欧諸国への輸出品としては象牙の彫刻に人気が集中していましたが、その中で光雲は木彫の作品制作を続けます。洋風文化が取り巻く中、西欧美術の素晴らしい写実性に驚愕した光雲は特に草花や鳥獣をメインに写実的な表現を追い求め、1893年にシカゴ万博に出品した『老猿』は、猿が大鷲と格闘した直後の緊張感を見事に表現し、重要文化財に指定されました。
◆ 竹内久一
明治時代に活躍した彫刻家として知られています。帝室技芸員に任命されています。東京美術学校の教授として古彫刻の修復や模刻、文展の審査員なども務めています。
◆ 竹内忠兵衛
明治4年、従来の家内工業から脱却して近代的な産業とすべく名古屋に七宝会社が設立され、"竹内忠兵衛(1852年〜1922年)"は、鈴木清一郎、塚本甚右衛門とともに、その中心工人として活躍しました。第1・2回内国勧業博覧会(明治10年、14年)では、陶磁胎七宝を出品して、2回とも嘉賞を受賞しています。明治20年頃には磁胎七宝が姿を消して、銅胎七宝の作品を制作して非常に高い評価を得た人物です。晩年の作品は、シャークスキン(鮫肌)のものが確認されています。
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