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| 田代商店 セント・ルイス万博の銀賞受賞社 西洋コバルト顔料の輸入商社の松村九助商店の横浜支店の営業権を田代市郎次が譲り受けて、1880年頃に生まれた会社です。その後、松村九助が名古屋の武平町に生地工場を建設し、七間町から移転することになり、その七間町に田代商店の名古屋支店を開設しています。その後、1900年のパリ万博に陶磁器を多数出品し、1904年のセント・ルイス万博博覧会では、美術の項で銀賞受賞、1910年の日英万国博覧会では陶磁器の項で金賞受賞しています。 |
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| 瀬栄陶器 半磁器のノリタケ 1896年に瀬戸地方の有力窯屋の共同販売会社として設立された会社です。1919年に水野商店と合併した後、1929年には半磁器の生地製造工場を建設し、その生地は白く緻密であり、”半磁器のノリタケ”と呼ばれたそうです。昭和初期にはノリタケから注文を受けてアールデコ風のフィギュアなどを製造したようですが、残念ながら1983年頃に解散したようです。 |
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| 志水禄之助 優れた絵付技術で会社再建をした名画工 明治30年代~40年代初期の問屋です。初めは、瀧籐商店に勤めていたが、1892年頃にヴァンタイン商会が名古屋に出張所を設けたのをきっかけに、当時の貿易物の輸出不況とあいまって、瀧籐商店を辞め、西瓦町に志水禄之助商店を設立しました。特に瀧籐商店時代の1883年頃に倒産の危機に直面した会社を再建した優れた絵付け技術を持つ名画工です。裏印はイニシャルR.Sと日の出を組み合わせたものがあり、1940年頃までは操業していたようです。 |
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| 松風陶器 日本で最初の高級陶歯を手がけた会社 京都の3代松風嘉定が輸出向けの磁器の製造を目的として1906年に京都に設立した会社です。1879年に森村組の米国向け輸出磁器の製造を開始したが、1893年に3代目を引継いだ嘉定は1895年に森村組との取引を中止し海外と独立取引を目指しました。1945年に戦災で焼失したが、輸出向け磁器の製造は戦後復活し、1957年頃までは継続していたようです。 |
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| 井元商店 名古屋陶業界のために尽力 井元為三郎が、田代商店勤務後に1897年に独立して起こした会社です。当初は生地を瀬戸より仕入れて、市内の絵付業者に絵付けを依頼し、森村組やヴァンタイン商会に販売していました。サンフランシスコ、シンガポールなどの海外にも支店を増やしていったが、1941年に世界大戦が勃発し閉店状態になり、1945年に亡くなっています。井元為三郎はその生涯を通じて名古屋陶業界のために尽力した人物であり高い評価を得ています。 |
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| 瀧藤商店 瀧籐萬次郎が1874年に名古屋に創設した会社で、欧米向けの洋食器の絵付加工場を開設しています。1893年のシカゴ万博に愛知県代表として渡米しています。1899年には治三郎が後を継ぎました。ニューヨーク、シカゴ、シアトル等に支店を開設し盛業でした。 |
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| 名古屋製陶所 日本陶器の最大のライバル会社 日本陶器の技師長だった飛鳥井孝太郎が、名古屋の寺沢溜四郎とともに1911年に設立した「帝国製陶所」を前身とした会社です。国内唯一の日本陶器のライバル会社であり、日本陶器と同品質で同種類の洋食器群を、輸出向けおよび国内向けに製造していました。ディナーウェアはアメリカではメイトーチャイナ(名陶チャイナ)として賞賛されており、1938年には鳴海工場を新設したが、戦争の影響で1943年に手放し、1969年に解散したようです。 |
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| ロイヤルニシキ 日本陶器に対抗した錦光山の商標 錦光山が明治・大正時代に森村組・日本陶器(現ノリタケカンパニーリミテッド)に対抗して、ロイヤルニシキ(Royal Nishiki)の輸出向け商標を登録しました。 錦光山は、京都粟田焼の名家で江戸時代の開窯したと言われています。 |
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| ヴァンタイン商会 コラレンを輸出した米国商社 外国商社の1つで、1840年代に創業者のA・A・ヴァンタインがアメリカ・サンフランシスコで始めた会社です。日本におけるヴァンタイン商会のビジネスは、1894年頃には転写紙を、後にはラスターも輸入するなど積極的に新技法を取り入れながら、白壁町に生地の見本釜を作ったのが始まりになります。特に注目されるのは、この会社がコラレンという磁胎にビーズを貼り付けた輸出磁器をアメリカ向けに輸出していた点です。ヴァンタイン商会の日米貿易は1920年頃まで続いていたようですが、創業者が没して1951年頃に終わりを迎えたようです。 |
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![]() 象 ![]() IE&CO JAPAN ![]() ROYAL KINJO |
![]() ヒヒ NIPPON ![]() IMPERIAL NIPPON ![]() ROYAL KINRAN |
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| 裏印・銘の詳細が不明なもの | ||||