有田焼とは
有田焼は17世紀初頭に日本で初めて磁器を生産しました。当時、世界中に輸出されていた中国磁器は清王朝に移り変わる内乱の影響で輸出が止まってしまい、17世紀中頃から有田焼(古九谷様式や柿右衛門様式など)が輸出されるようになります。欧州への輸出はオランダ連合東インド会社を通じて行われ、多くの王候貴族の宮殿などに飾られました。明治時代に入ると、有田焼は欧州を中心に開催された万国博覧会で名声を得ていきます。1867年のパリ万博に出品しました。それ以来、ジャポニスムの流行が欧州各地へと伝播し、注文が殺到しました。1873年のウィーン万博にも出品し、色鮮やかで豪華絢爛な作風が海外で評判となり、名声を得ました。香蘭社、深川製磁などが有名です。
錦手色絵草花蝶文花瓶の画像

有田焼の錦手色絵草花蝶文花瓶です。明治・大正時代に欧米諸国に輸出され、約100年の時を経て日本に里帰りしてきました。
商品概要
- 名称 有田焼 錦手色絵草花蝶文花瓶
- 裏印 蘭マーク+香蘭社深川製
- 状態 カケ・ワレ・ヒビなどなく良好な状態
- 寸法 H:24.5cm L:16.5cm W:16.5cm
- 素材 陶磁器
- 原産 日本
- 仕入 アメリカ
- 付属 作品証明書
- 数量 現品のみ
- 価格 売切【 u2477 】
香蘭社について
磁器のキャンバスに日本の美を描く 陶器メーカー。香蘭社は洋食器で有名な佐賀県の肥前有田に1874年に誕生し、輸出向けの高級ファンシー製品を主力としました。創業者は、八代深川栄左衛門、手塚亀之助、深海墨之助、辻勝蔵の共同で誕生しました。しかし、意見の食い違いから、深川以外の3名は新たに川原忠次郎を加えて、1879年に精磁会社を設立しましたが、1905年に解散しています。香蘭社は深川栄左衛門の単独経営となった後も順調に発展していきました。1878年のパリ万博で金牌受賞、1889年のパリ万博で金賞、1893年のシカゴ万博で受賞、1904年のセントルイス万博で最高賞などを受賞しました。また、1896年には宮内省御用達を命じられています。明治天皇への献上品もあります。明治期の香蘭社の作品はそれまでの有田焼の色絵を昇華させたもので、洋風の形に竹、菊、鳥などの和のモティーフを用いていて、和洋が融和した見事な作品に仕上がっています。
深川製磁について
深川家は1600年代中頃より佐賀県有田で窯焚業を営んでいました。深川製磁は1894年に深川忠次によって設立され、欧州への視察を実施し、ドイツのマイセンや各国の窯元が台頭している様子を見て、「世界一のやきものづくり」を目指すようになりました。そして、従来の有田の伝統技法に欧州から取り入れた技術を加え、オリジナリティ溢れるデザインを追求していきます。忠次は1900年のパリ万博に「大壺」を出品し、金牌を受賞しました。。1904年のセントルイス万博でも金牌を受賞しました。その後も各国の万国博覧会で賞を得て、国際的な注目を集めました。フランスの高級百貨店、「プランタン」からも注文を受けていました。また、イギリスの商社を通して、ロンドン、パリ、ミラノ、ベルギーなどに代理店を開設し、世界に有田焼の魅力を発信しました。明治天皇より晩餐会用の御食器のご用命を賜り、1910年には宮内省御用達を拝命しました。しかし、戦後まもなく制度が廃止されてしまいましたが、以降も現在に至るまで、宮中食器を納めています。さらには、チャップリンやアインシュタインなどが常連となっていた「日本郵船の一等客船」で使用される器にも採用されています。
参考資料
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