プレミアノリタケとは
プレミアノリタケとは現在のノリタケが戦後の1945年頃~1960年頃までに製造した作品の総称です(戦後のノリタケ)。輸出向け以外にも米国進駐軍の関係者向けに販売されたものもあります。まだアンティークではなくヴィンテージになりますが、レトロ感やユニークな作品もありコレクターズアイテムとして人気が高まっています。その中でも画工のサインが入った飾皿や花瓶などが特に人気があります。
o.nakajimaサイン入名古屋城風景文飾皿の画像
商品概要
- 名称 プレミアノリタケ o.nakajimaサイン入名古屋城風景文飾皿
- 裏印 1954年頃 - 1960年頃
- 状態 カケ・ワレ・ヒビなどなく良好な状態
- 寸法 D:27cm
- 素材 陶磁器
- 原産 日本
- 仕入 オーストラリア
- 付属 作品証明書
- 数量 現品のみ
- 価格 売切【 u3151 】
作家について
中島音次郎 (o.nakajima / N.otoji / Otojiro.N )
1915年生まれ、光風会会員。愛知県岡崎市出身で地元三河の海を愛しており、「蒲郡の海」、「幡豆の海」などを描き続けました。第1回日展から連続出品し、昭和39年には特選となっています。また、ノリタケの技能者としても活躍しました。
日本陶器の技芸科について
1909年に日本陶器が芸術性の高い製品づくりが出来た大きな要因が、従業員の福祉、教育を推進するために設置した「同仁会」の中に技芸科を設けて、技能の工場を図ったことにあります。技芸科の教授は「鬼頭鍋三郎」(洋画部)、「嶋谷自然」(日本画部)、「野々村一男」(彫刻部)ら各界の一流芸術家がその名を連ねていました。オールドノリタケ、プレミアノリタケの中に見られるサイン入りの作品は、ほとんどが洋画部で優れた画工・ペインターであると考えられます。
ノリタケの創業者について
ノリタケの生みの親、森村市左衛門。
江戸から明治への時代の変革期の真っ只中である1839年に森村市左衛門は生を受けました。1858年に日米修好通商条約が締結、翌年に横浜港が開かれると日本に「自由経済」の波が押し寄せます。しかしその中で日本に不利な国際為替相場によって日本の金は質の悪いメキシコ銀と交換、膨大な小判を海外へ流出させられることになりました。これを憂えた市左衛門は、武具商として出入りのあった大名家の家老の紹介で福沢諭吉と出会います。福沢はこの問題について「外国人が持っていく金を取り戻すには、輸出貿易を行う他に道はない」と語ります。市左衛門は自らがその先駆者となるべく、国のためになるならばと武具事業で蓄えた資金を投げうって1876年
東京・銀座に貿易商社「森村組」を創設します。さらに市左衛門に共感した異母弟・森村豊は同年3月に船でニューヨークへ発ちます。これこそが日米の貿易の始まりです。
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森村組・日本陶器の年譜
1839年 森村組(現在のノリタケカンパニー)の創業者、森村市左衛門の誕生
1859年 森村市左衛門、金銀対価の違いに起因する膨大な小判の海外流出を憂い、海外貿易を志す
1876年 銀座に森村組を創業、森村市左衛門の義弟である”森村豊”が渡米し、日の出商会を設立
1880年 森村市左衛門商業視察で渡米
1881年 モリムラブラザーズへ社名変更
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参考資料
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