薩摩焼とは
薩摩焼とは今から約400年前、島津義弘が朝鮮出兵(文禄・慶長の役)から引き揚げる際に、産業振興の為に朝鮮陶工を連れ帰ったことが始まりとされています。その後、朝鮮陶工の装飾技法に日本伝統の技法を取り入れて独自の発展を遂げ、現在に至るまで脈々とその命を育み続けています。明治時代にパリ万博やウィーン万博などの海外の万博に出品したのを機に欧米諸国で人気が高まり、世界に雄飛していきました。欧米人に好まれた日本的又は東洋的なデザインに金彩を多用した華麗な作品が鹿児島以外でも神戸、大阪、京都、横浜などでも作られるようになり、「極東の宝石」と呼ばれるまでになりました。
商品説明
明治時代に開花した
京薩摩の錦手人物文龍盛上洋茶器揃が約100年の時を経て日本に里帰りしました。人物を細密に描き、巻龍をアクセントにした超絶技巧に相応しい作品です。銘は「楠部」と記載があり、楠部千之助(1859-1941年)のものだと思われます。
楠部家は代々伊勢神宮の祭器の製造をしていた名家です。千之助は他家からの養子で、日本画家「幸野楳嶺」の門人で画家として生きていくつもりだったが、1887年頃に楠部陶器貿易工場を設立し、輸出用の薩摩焼
( 京薩摩 )の製造・販売を始めました。錦光山、安田に次いで京都粟田口で3番目に大きな窯元まで成長しました。息子の楠部彌弌(1897-1984年)は陶芸作家として活躍し文化勲章も授賞しています。
商品概要
- 名称 薩摩焼 錦手人物文龍盛上洋茶器揃
- 裏印 楠部
- 状態 カケ・ワレ・ヒビなどなく良好な状態
- 寸法 ポット H:17.5cm W:20.5cm シュガー H:15cm W:14cm
- クリーマー H:14cm W:14.5cm カップ H:4.5cm W:12cm ソーサー D:14cm
- 素材 陶磁器
- 原産 日本
- 仕入 アメリカ
- 付属 作品証明書
- 数量 現品のみ
- 価格 売切【 u1895 】
明治期の薩摩焼の世界
~ 日本の国益に貢献した輸出工芸の華 ~
江戸幕府の滅亡による社会的動乱は陶磁器業界にも大きな影響を与えました。天皇が居住し文化の中心地であった京都は幕末の戦火により街が焼かれ、遷都によって天皇、公卿、商人は東京へ移っていきました。さらに明治維新によって従来の購入者であった大名や公卿等がいなくなり、庇護を失った御用窯は廃窯を余儀なくされます。加えて同業組合の解散も重なり、陶磁器の製造者は大打撃を受け「都のやきもの」という京焼ブランドも失墜してしまいました。
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薩摩焼の年譜
~ 世界に雄飛した薩摩焼 ~
- 1598年 朝鮮出兵の際に島津義弘が朝鮮人陶工を連れて帰る
- 1610年 初代・沈当吉が苗代川焼を開窯
- 1628年 沈当吉は薩摩藩の命を受け、朴と共に白土を発見し本日の薩摩焼を創製
- 1823年 6代・錦光山宗兵衛、京都に生まれる
- 1853年 藪明山、大阪に生まれる
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薩摩焼の名窯・作家
江戸時代の末期、幕末以降の欧米ではジャポニズムの影響で日本の工芸品は人気がありました。その代表格が薩摩焼です。鹿児島、東京、横浜、神戸、京都、大阪など近くに港がある都市で発展し、一大輸出産業となりました。錦光山宗兵衛、帯山与兵衛、藪明山、成瀬誠志、川崎富山、楠部千之助、トーマス・ビ・ブロー、保土田太吉、服部等などの世界的に評価を得た名窯・作家がいる一方、資料が少なくその詳細が不明なものも多く存在しています。
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参考資料
トップ > ラインナップ > 薩摩焼一覧 Vol.002 > 薩摩焼 楠部 錦手人物文龍盛上洋茶器揃